染色作家 松岡茉莉花

田んぼのあぜ道を通っていく、面白い立地にある「けせら工房」さんは、ご家族で移住してきた松岡さんが営む暮らしにまつわるものを創る工房だ。旦那さんの松岡大輔さんは庭師として土をつくり、特殊な製法で醤油をつくる「絞り師」としても活動している。奥さんの茉莉花さんは綿や藍など、素材作りからの草木染めや、竹かごを作っている。

お二人のつくる作品や制作されているものは「衣食住」が根底にある。例えば着ている服はどこから来て、どういう人が作って、どういうものでできているか、を追う事が大変な現代において「いざ一から作ろうと思った時にどうしたらいいか?を知れる場所、衣食住の基礎が学べる場所を作りたかった」と言い、ご自身の創作活動と共に様々な人に作り方を広めるワークショップも開催している。

「はじめは綿素材の服が好きだったので、どうやって育てるかということで種まきから始めました」と茉莉花さん。自分ができることをやって、衣食住のことを深掘りしていく。最初に自分がたどり着いたものを生活に取り入れて、良いと思ったものを色んな人に使ってもらったり体験してもらったりしていく「おすそ分けしている」感覚なのだそう。

福住に来る前も、大阪の能勢町で自然農の農業をして生活していた松岡夫妻。実は二人とも大阪市内の生まれ育ちで自然に触れる機会はほとんど無かったのだとか。働きだしてからお互いに興味を持っていた自然農の体験に通うようになり、移住して農業を10年ほど本格的にやっていた。

10年前の当時、自然農での農業のスタイルは個人宅配している人が最先端だった。大輔さんはそのスタイルでの農業が増えていく中で何か違うぞと感じる事が多くなったそう。「自分たちが大切にしていること(自然や環境)をどうやったら守れるか?そうして突き詰めていくために畑に雑草も生やしたり、土が豊かになる形を作っていくと、どんどん収支が成り立たなくなって」と話す。現状と自分がやりたいことをどこでミックスしていくか考えた時に出てきた答えが庭師としての仕事だった。「庭だったら家庭菜園する人も増やせるし、自分が今やってる畑よりもっと広い面積の土を扱える。収入の柱としての価値もわかりやすかった」歩いてきたあぜ道に広がっている畑でも、土を作って、育てて、都会でも増えている畑をしたい人へのアドバイスをしながら体験できるようにしている。

けせら工房さんに向かう途中の畑には、綿や藍などが栽培されている。「タネから棉を育てたことから、自分で服をつくりたいと思って、どうやって織るんやろう?どうやって染めるんやろう?と疑問が湧いてきて。先に布を織ってから白い布を染めるのか、糸を染めてそれを布にするのか、どうしたらいいのか全くわからない状況で教えてもらえる場所を探したら、お隣の丹波市にいる丹波布の作家さんに糸紡ぎから織りまで教えてもらえたんです」そうして藍も含めた自然素材の染料を使って、染色もはじめた。

お二人は、お子さんがアレルギーをお持ちだった事から、食べ物やワクチンを調べ、自然農や自然に近い暮らしに興味を持つようになった。「でも、ストイックにやって、あれはダメこれはダメって排除すると、余裕がなくなって、人に対しても排除するようになってしまったんです。マクドナルド食べてるやつは悪い、子どもに食べさせてる親は虐待、くらいに思ってしまった時期があったんですよね」「でも、そうなってくると自分は何やねんと。自分はそれで育ってきたし、原発でつくられた電気も使ってて。何かすごく矛盾を感じて、人間関係も批判しあって敵対しあうんじゃなくて、みんなで幸せになるための共通点を探して、どう進むのかを考えた方がハッピーやなって思ったんです」

自然に近い暮らしや農業をしている松岡さんだが、染色についてもその使い方にしても、とても論理的に話す言葉の選び方が印象的だった。それは、感情的な言葉だけで伝えようとして、失ったものがあったからだそうだ。「相手の気持ちや考え方を知って、寄り添ってコミュニケーションをとった方がお互いに理解できると思うんです」二人の言葉には、自然と人の両方が心地よく共存する考え方が宿っていて、お話を聞きながら影響を受ける。

どこか古くて懐かしいけれど、今の日本の暮らしにとっては一周回って新しい価値観や考え方。松岡さん等とお話ししていて感じることは、借り物の言葉でなく自分の言葉で、仕事や生き方に向かいあっていることだった。

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